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「殿は“ただのうつけではない”と、そう評されたのは姫様ご自身ではございませぬか。
私も姫様と共に、あのお方の優れた一面を間近で拝しておりまする。大丈夫。
殿ならばきっと、その隠れた才を活かして、どのような窮地からも見事に抜け出されましょう」
「…三保野」
「殿のお味方になると決められたのは姫様です。最後までお信じになられませ」
三保野の強く優しい言葉を受けた濃姫は、瘦小腿 ふいに、自身の腹部へと視線を落とした。
姫が纏う艶やかな小袖と帯の間に、道三の短刀が挿してある。
「……殿を信じる…」
濃姫は呟きながら、スッと短刀を帯の間から引き抜くと、それを両手で静かに握った。
「姫様。それは確か、美濃の殿から賜った御刀では?」
「そうじゃ。輿入れ前に父上様から直々にいただいた物じゃ。
先達てこれを、殿が所望なされてのう」
「まぁ、あのお方が?」
「一度は殿への忠誠の証に差し上げようとした刀なれど、此度は理由が理由であった故、渡すのを躊躇っていたのじゃが……」
濃姫は急に黙り込み、実に真剣な表情で短刀を眺めた。
今度刀を信長に渡せば、もう二度とこの手に戻って来ることはあるまい。
完全に作り直され、使い途もまだ分からぬ幼い義妹の手に渡ってしまうのだ。
寂しい気持ちは十二分にあるが、一方では、それも良いではないかと前向きに考える自分もいた。
この短刀を“何にも代え難い物”としていたのは過去の己である。
信長に寄り添い、彼の天下統一の夢を見届けると心に決めた自分が、
今 最も大事とするべき物は、果たしてこの短刀なのだろうか?
濃姫は暫らくその場に佇み、静かな面持ちで思案した。
「姫様、如何なされました?」
三保野が心配そうにその顔を覗き込むと
「そうじゃ……そなたの言う通りじゃ。殿を信じる以外に、今の私に何が出来よう」
濃姫は意を決したように頷いた。
「三保野」
「は、はい」
「急ぎ表御殿へ引き返し、殿の近習の者に伝えよ。今宵私が、殿に寝所へのお渡りを願ごうているとな」
夜四つ──。
奥御殿にある夫婦の寝所では、白い夜着姿の濃姫と信長が、神妙な面持ちで膝を突き合わせていた。
二人の膝と膝の間には、道三の短刀が鞘を信長の方に向ける形で置かれている。
「…そなた、本気で申しているのか?」
「無論にございます。この御刀、殿に差し上げまする」
姫が迷いなく告げると、信長はふむと腕組みをした。
「どういう心境の変化じゃ? この前はあれほど渡すのを躊躇っておったのに」
「別に躊躇ってなどおりませぬ。ただ、一度返して下された物を、殿がまた急にくれなどと申されます故、少々戸惑うただけにございます」
「まことか?」
「はい。ですからどうぞ、お市様の贈物に作り直すなり何なり、殿のお好きなようになされませ」
「…左様か…。ならば良いのじゃが」
信長は無造作に短刀を手に取ると、それをしげしげと眺め始めた。
せっかく所望した物が手に入ったというのに、信長はあまり嬉しそうな顔をしていない。
濃姫がどうしたのかと思い、声をかけようとすると
「濃…。今一度訊くが、美濃の蝮殿より賜ったこの刀を、本当に儂が貰っても良いのか?」
抑揚のない声で信長は再度訊ねた。